top of page

名も無き医師たちがつないできた“医療の連続性”とPrimaryTouch

  • 執筆者の写真: 佳嗣 廣川
    佳嗣 廣川
  • 9月1日
  • 読了時間: 3分

外来の椅子に座っていると、ふと考えることがあります。「私たちは、どこから来て、どこへ向かう医療をしているのだろうか」。診察や訪問の積み重ねは、時に単調に見えるかもしれません。けれども、その背後には無数の医師や看護師が地域を支えてきた歴史があります。


清風會の原点にある想い社会医療法人清風會の初代理事長であった森忠夫は、戦中戦後という激動の時代を生きました。戦争で国を守るために命を賭し、敗戦を経験しながらも、戦後は焼け野原からの復興を「地域のインフラとしての医療」から支えました。医療は、ただ病を治すためだけではなく、「人が生きていくための基盤」である。その原点を愚直に示してくれた存在でした。


二代目が示した「愚直な実践」続く二代目理事長・森浩郎は、昭和の時代に地域に根ざした医療を実直に積み上げました。華やかな改革や大きな言葉はありません。ただ目の前の人に誠実に向き合い、患者の人生に伴走することを繰り返してきました。その愚直さこそが、地域に「この病院なら安心できる」という信頼を築いていったのです。


災害の中で支えるということまた、PrimaryTouchの共同代表・廣川の父は、神戸で開業医として活動しながら、阪神淡路大震災の折には長期にわたりボランティア活動を続けました。地域が困難に直面したとき、医師は単なる診療者ではなく、「共に立ち続ける存在」であるべきだという姿勢を示しました。この「継続性のある責任感ある医療」は、まさにプライマリケアの根幹です。


名も無き医師たちの営みこうして振り返ると、私たちの周りには「大きく取り上げられることはないけれど、誰かを支え続けた医師たち」の歴史があります。岩国で地域医療を支え、医師会長として活動した義父もそうでした。ACP(アドバンス・ケア・プランニング)の先駆けとも言える取り組みを、地域と共に模索してきました。彼らの営みは、新聞に載ることもなく、名を残すこともないかもしれません。しかし、その積み重ねが今の医療の土台をつくり、私たちの世代へとバトンを渡しているのです。


PrimaryTouchという新しい補助線私たちが開発しているPrimaryTouchは、こうした営みの延長線にあります。小さな変化を拾い、すれ違いを減らし、関係性を絶やさない。つまり、無名の医師たちが大切にしてきた「愚直な医療」を、テクノロジーによって再現し、支える仕組みなのです。


私たちは、過去の偉大な歴史を誇示したいわけではありません。むしろ、歴史の中で名も無き医師たちが実践してきた「地道な支え合いの医療」を、未来にどう引き継ぐかが重要なのです。


PrimaryTouchは、そのバトンを受け取り、次の世代へ渡すための一つの答えです。あなたの外来や訪問で、その手ざわりを感じてもらえたら幸いです。

 
 
bottom of page