家庭医が患者さんの社会背景を知ること
- 佳嗣 廣川
- 6月10日
- 読了時間: 4分
更新日:6月12日
「この人のこと、少しずつわかってきた」──家庭医療における“関係性の医療”とCCRMの可能性
患者さんと向き合うとき、私たちは何を見ているのでしょうか。
診察室に入ってくる一人の人を、ただ「病名」や「数値」で判断するだけで、果たしてその人のケアはできるのでしょうか。
家庭医療において、私たちが大切にしているのは「その人の人生まるごとに関わる姿勢」です。
病歴や既往症はもちろんのこと、家族関係、職場の人間関係、趣味や生活のリズム、地域とのつながり、そして何より、その人が大切にしている価値観──
こうした背景情報の積み重ねによって、ようやく私たちは“患者像”にたどり着くのではないでしょうか。
けれど、忙しい日々の診療の中で、こうした情報を一人ひとり丁寧に蓄積していくのは簡単なことではありません。
それでも、やっぱり「その人らしさ」を捉えることが、私たちのケアの原点だと思うのです。
■ 家庭医療の質は、関係性の深さと比例する
ある日、久しぶりに外来に来た患者さんが「最近なんだか元気が出なくて」とつぶやいたとします。
その言葉だけで「うつ状態」と判断してしまうのは、少し早いかもしれません。
以前は趣味で家庭菜園を楽しんでいたこと、近所のグラウンドゴルフ仲間との関係が生活のハリになっていたこと、
数ヶ月前に配偶者を亡くし、食事が一人になったこと──
もし、こうした背景情報が頭の中にあれば、「少し元気がない」理由はまったく違う風景として立ち上がってきます。
家庭医療は、疾患を「診る」だけでなく、人の「暮らしごと理解する」営みです。
それはつまり、**“関係性の医療”**とも言えます。
そしてこの関係性が、支えになる瞬間は、患者さんが本当に困ったときにこそやってくるのです。
■ CCRMという考え方──「情報」ではなく「関係性」をマネジメントする
私たちPrimaryTouchが提唱しているCommunity Care Relationship Management(CCRM)は、医療情報を“管理”するだけではなく、患者さんとの「関係性の質」を支えることを目的としたケアモデルです。
日常の中で蓄積される小さな言葉、ふとした行動変化、感情の揺れ、生活のズレ──
そうした“医学的ではないけれど、重要な背景”を、AIエージェントが丁寧に拾い上げ、記録し、やがて意味ある形でサマリーしていく。
診察の瞬間だけでなく、日常にそっと寄り添う仕組みが、家庭医が関係性の中で見落としたくない「文脈」をつなぎ直してくれる。
それが、CCRMの役割です。
■ エージェントがそっと集める“その人らしさ”の断片たち
PrimaryTouchのAIエージェントは、定期的な非同期のやりとりを通して、患者さんの生活や気分の変化を聞き取ります。
「最近はどんなことをして過ごしていますか?」
「ご飯はおいしく食べられていますか?」
「誰かとお話しする機会はありましたか?」
こうした問いかけの中に、医療者にとって“気づきの種”となる情報が眠っていることがあります。
本人ですら意識していない心の揺れや、生活の滲み出たリズムの変化を、少しずつ、しかし確実に拾い上げる。
そして、それらをAIが要約し、家庭医にとって見やすいかたちで伝えてくれる。
「この方、最近ずっと外出していないようですね」
「家族との関係が少し変化しているようです」
「楽しみだった趣味が最近出てきていないようです」
こうした“気づきの断片”は、次の診察での問いかけの質を高め、信頼の橋をより深く、強くしてくれます。
■ 患者の「状態像」を共有できるということ
こうして蓄積されたバックグラウンド情報が、サマリーとして整理されていくことで、家庭医だけでなく、多職種や家族とも**「同じイメージ」を共有することができる**ようになります。
「この人は、こういう人なんだ」
「こういう時に、こう反応する傾向がある」
「こういう価値観を持っているから、この提案は届きやすいかもしれない」
このような共通認識は、患者中心のチーム医療を支える“静かなインフラ”になります。
そして何より、患者さん自身が「自分のことをちゃんと見てくれている」と感じられることこそが、医療への信頼の根源ではないでしょうか。
■ “病気を診る”から“人を支える”医療へ
もちろん、全てをデータで可視化できるわけではありません。
人は常に変化し、複雑で、矛盾を抱えて生きています。
だからこそ、家庭医が「関係性を通じて患者を知る」ことの意義は、これからも変わらないでしょう。
でも、その関係を支える補助線として、AIやCCRMのような仕組みがそばにあったらどうでしょう。
人のあたたかさと、テクノロジーの静かな支え。
その両方があることで、私たちはもっと深く、もっと丁寧に、人を支える医療を続けていけるのではないか──
そんなふうに感じています。
「この人のこと、少しずつわかってきた」
そう思える瞬間が、家庭医療の現場に増えていくこと。
それこそが、医療が人の暮らしの中に根を下ろしていく第一歩だと思うのです。